★ホワイトベリー / 夏祭り★
夏になりましたからね。
72年に入社した私は洋楽に90年までいて
その後、国内制作の新人発掘部門を担当し、
国内レーベルを2つ巡ってから、
ソニー・ミュージックダイレクトに来る直前の数年間
マネージメントつまりプロダクションをやりました。
2000年設立、社員4人の小さな会社でした。
社名は「フィールド・オブ・ドリームス」
自分の一番好きな映画のオマージュで。
そこで最初に契約したアーティストが
この「ホワイトベリー」でした。
北海道北見市在住の女子中学生バンドに会うために
会社ができて最初に出張した先が北見です。
生まれて初めての北見は春だというのに雪が残ってて・・。
ソニーレコード代表だった目黒さんと一緒に
メンバーの親御さんたちに挨拶した後で
2人してバーをハシゴしながら語った時は不安ばかりいっぱい。
まさかすぐにあんな大ヒットが出るとは
想像もしていませんでした。
会社設立したその年の大ヒット曲が「夏祭り」でした。
その年と言うより、設立3ヶ月目に70万枚の
シングル・ヒットが出てしまったわけです。
出会い頭ってヤツですか。
或いはビギナーズ・ラック。
でも実は・・
私はあの曲に初めは反対してたんです。
あの頃「YUKI」がそこそこヒットしていた時期で
作曲はご存知ジュディマリの恩ちゃん。
新生事務所としてもレコード会社としても
解散していたジュディマリの後を狙うつもりでいました。
いやいや、あの頃は真剣に。
だからソニーレコードの担当プロデューサーの江川さんから
次回作がジッタリンジンのカバーの「夏祭り」だと聞いて
「オリジナル楽曲で行くべきだ」と猛烈に反対しました。
しかし、ドラマが始まり
例のミニの浴衣のクリップが評判になってきて
ジワジワと「ヒットの風」吹き始め、発売当日
みんなでシングル盤の初日バックオーダーを予想しました。
大体4000枚から5000枚。
それが1万枚を超えるオーダーがありました。
ごめんよ、江川さん。君が正しかったです!
今でもこの曲は当社の「着うたフル」では夏ともなると
トップ3に入ってくる、もうスタンダード・ナンバーです。
悩みも多くありました。
まず何よりバンドのメンバーが子どもだったこと。
そしてみんな女の子だったこと。
地方在住だったこと。それもかなり遠い。
微妙に学年が違うために高校進学ですら問題になる
それぞれの家庭の考え方の違い。
レコード会社しか体験したことのない私にとっては
何もかもが初めてのことだったし、しかも応用問題ばかりで。
中学~高校という時期の女の子ならではの問題は
娘のいない私はどう対応したらいいのか途方に暮れました。
自分はこの仕事に向かないダメ人間だと落ち込んだり。
そうそう、この年に紅白歌合戦にも出ちゃったんだ。
学童だからと、最初に歌ったらすぐに開放され、
ご飯食べてから宇田川町の交番近くのカラオケボックスで
新年を迎えました。
「社長からのお年玉だ」と1万円づつ配ったです。
先日、成人したキーボードの里美と食事した時、
「紅白歌合戦は全然緊張しなかったホワイトベリーも
札幌ドームのこけら落とし、巨人ーヤクルト戦の
国歌斉唱した時は足が震えた」と言っていました。
長嶋茂雄監督が大きくてオーラが凄かったと。
その後メンバーは将来の方向性の違いなどから解散しました。
しかし、初めてバンドリハーサルを見て愕然とした暗澹たる思いと、
その後のメンバーの努力の結果の素晴らしいライブの満足感は
決してこれからも忘れることはないでしょう。
野中規雄の音楽人生にとって重要な位置を占めているので
日本のバンドですがここに加えました。
***
ヒットが簡単に出てしまったことが
スタッフとバンドメンバーのその後の人生にとって
いい結果となるのかどうかはまだわかりません。
歴史と言うにはまだ記憶が新しすぎて
今日も何回もかけながらこれを書いていて、
思わずシンミリしてしまった私です。
でももう7年も昔のことなんですねー。
今はドラムの恵理加とギターの彩は結婚してママです!
ベースのゆかりは就活中の大学生。
キーボードの里美は何と当社の宣伝マンをしています。
(自力で難関を突破してきたんですよ)
一人、ヴォーカルのゆっきだけが音楽活動を続行中、
直近では7月6日RUIDO K4と、7月24日新宿RED CLOTHで
ライブがあるそうです。
みんなこれから先の人生の長い子たちばかりです。























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