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社長の履Rec書 (10)

通称 のり ・ のなか 

2008年6月末日で退職致しました。
下記の「元会長のロックンロール黄金時代」をご覧下さい。


<大人のための音楽サイトをご紹介>

こちらもぜひ、ご覧下さい&x-exclamation2;

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ボリス・グレベンシコフ

★ボリス・グレベンシコフ / ラジオ・サイレンス(Radio Silence)★

そろそろ私にも「洋楽黄昏れ症候群」が現われてきた頃の話です。
発売1989年8月。

「ボリス・グレベンシコフ」
この名前だけ文字の級数を10倍にしたいくらいです。
そもそも知ってる人~?
いないでしょうね。。

説明しましょう。ロシア人です。
ロシアといえばロシア民謡?
カチューシャ、カリンカ、ステンカラージン、黒い瞳
ヴォルガの舟歌、悲しき天使、百万本のバラ・・
哀しい歌が多いじゃないですか。

彼の場合はソ連初のロックバンド「アクアリウム」を率いて
反体制音楽を歌っていた伝説のアーティストです。
ソ連のビートルズかボブ・ディランとまで言われた人。
今でもロシアの人で彼の名前を知らない人はいない
音楽界におけるまさに英雄、まさにカリスマです。

そのボリス・グレベンシコフの西側デビュー作が
社会的政治的な話題をバックにしてアメリカで制作され
日本でも発売されました。英語盤でした。
NHKで特番が放映されるという情報も入り、
このアルバムはいきなり全社の大プッシュとなりました。
新譜受注書にはこう書かれています。

「これがロック・ペレストロイカだ!
凍てつく大地からの熱いメッセージを聞け」

これを書いたのは担当ディレクターの土屋さん。
今年2007年4月に
「ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル」の
新CEOに就任されました!
簡単に言うとソニーミュージック洋楽カンパニーの社長です。
しかもグループ初の女性社長の誕生です!
おめでとうございます。

時代的に洋楽が苦しい時の舵取りは大変でしょうけど
そもそもバイリンガルな上に優秀な人なので
かつて私も愛した「洋楽」の更なる活性化に期待します。

ついでに書きますが、同じ4月から私、野中規雄は
ソニー・ミュージックダイレクトと
その洋楽カンパニーの会長を兼任することになりました。
(こっちは土屋CEOをサポートする爺や役です)


んで・・ボリス・グレベンシコフですけど、
予想通り、まったく売れませんでした~~!!
商業的には「大失敗」ってとこですね。
ミゲール・ボセくらいの失敗ですか。
いや、シェイキン・スティーヴンスくらい?
もしや高久さんのロベルト・カルロスくらい?

総売上12000枚。
返品9000枚。

実売の数字よりもむしろ返品率75%という精神的痛手でした。
ただ、売れなかったせいで、一般的には無名でも
当時関わったスタッフにはまだ鮮明な記憶があるらしく
未だに飲み屋でこのアーティストの名前を出すと
みんなが声高に思い出話を語り始めます。

当時営業の旗振り役で、現在は我々の上位会社
ソニーミュージックエンタテインメントCFOである
鈴木明さんもこのアーティストはきっと忘れられないことでしょう。
今度飲んで話そうかい?

土屋担当ディレクターの名誉のために書いておきますが
この失敗は若かりし担当者のせいではありません。
販促が大々的なキャンペーン対象にすること自体に
無理のある音楽だったんです。
タトゥーじゃないんだから。
ちょうどソ連が崩壊に向かいつつある時代に
アメリカが仕掛けたプロパガンダの一環として
米CBSが乗ったんじゃないかと、今になっては思います。

今でも活動していると聞きました。
ボリス・グレベンシコフ、(ある意味)記録にも
記憶にも強烈に残っているアーティストです。

2007/04/25 14:26  全て表示   2   コメント 4
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ジョン・アンダーソン

★ジョン・アンダーソン / イン・ザ・シティ・オブ・エンジェルス(In The City of Angels )★

何故かTOTOつながりでジョン・アンダーソンです。
コレも担当は違いますけど。
担当は喜久野俊和氏、夜の世界では「きくきく」。

言うまでもなくジョン・アンダーソンはイエスのヴォーカルです。
イエスって70年代に滅茶苦茶売れたプログレバンドで
メンバーチェンジを何回もしたこともあって
イエスに在籍してた有名アーティストは山ほどいます。
リック・ウェイクマン、スティーヴ・ハウ、ビル・ブラッフォードとか。
でもイエスの中心はやっぱこのジョン・アンダーソンでした。

これはその彼のソロアルバムで発売は1988年5月。
バックにTOTOのメンバーが参加してたんです。
プロデュースはデビッド・ペイチだし。
まったくイエスっぽくはなくて、どちらかと言えば
イギリス人なのにAOR(←日本英語)アルバムです。
なので正直私のタイプではないす。

タイトルもロサンゼルスのことですよね。
だけど私的にはこのタイトルだと
映画の「シティ・オブ・エンジェル」の方を先に思い浮かべます。
大好きだったメグ・ライアンの。
しかし・・メグ・ライアンって本当にいい映画に出なかったですね。
「トップガン」で気に入って、映画は追いかけたんですけど
結局「恋人たちの予感」を上回ることはなかったですから。
もう45歳だそうで、ネスカフェ・・いやはや。

ジョン・アンダーソンですよ。
この年に来日してます。
その時の写真です。

冨士山に登るという前の晩に食事をしまして、
当時の洋楽担当役員だった稲垣さんと。
赤坂東急の「天一」でした。
今は赤坂エクセルホテル東急っていうんですね。
最上階の「ジパング」がまだバーだった頃です。
あのバーは石原裕次郎がいつも飲みに行ってた所らしいんですが
ジョン・アンダーソンのこの頃はもう裕次郎さんの体調も
悪かった頃でしょうか。


稲垣さんはイエスのことは余り知らず
勿論ジョン・アンダーソン自身のことも良く知らず
なので、一般話題ばかりしていましたが
驚いたのは「阿闍梨(あじゃり)」のことを
稲垣さんが延々1時間くらいして
しかもジョン・アンダーソンは嫌な顔一つせず
むしろ興味深そうに聞いていたことでした。
「阿闍梨が大阿闍梨になる時の修行は・・」なんて話ですよ。
さすがに哲学とか造詣の深いジョンらしいなと感心してました。

阿闍梨って何なのか、うまく説明できませんが、
仏教の僧侶の先生みたいなモンですかね。
ジョン・アンダーソンと違って俗人のきくきくと私は
聞いててすっかり飽きてました。

今もジョンはライブなど積極的に活躍してるらしいので
あまり昔の人にしてはいけないかもしれないんですけど
現在U-SENのきくきくさんと
エイベックス取締役の稲垣さんと
私との3人にとっては昔話でいいんです。
・・・愛情の足らない言い方だな~~

2007/04/23 13:50  全て表示   3   コメント 4
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TOTO


★TOTO / ファーレンハイト(Fahrenheit)★

アーティスト担当はしてないけど写真があったので。
時期はアルバム「ファーレンハイト」の時、場所は大阪。
ライブなのかプロモーションなのか覚えていません。

TOTOの6枚目ですね。バラードっぽかったですか。
このアルバムからジョゼフ・ウィリアムスが
新しいヴォーカルとして加入しました。
写真で言うと右端です。
真ん中がマイク・ポーカロ。
右から2人目の日本人は多分ABCの和田さん。
担当は宇田明則君ですがこの写真には写っていないです。
カメラ担当してたのかな。
宇田君の顔をご覧になりたい方はパティ・スマイスの項の
集合写真の右端に写ってた人です。
学生時代に「絵のない絵本」ってバンドやってました(笑)
今は営業の方で活躍中、やけに薄着のおじさんになってます(笑)

この「ファーレンハイト」は1986年9月14日発売。
同じ日に国内制作に当時あった「楽京レーベル」から
ジョセフ・ウィリアムスのソロ・シングルが再発されています。
「My One」と「DJ In My Life」というカップリングなんですが
「DJインマイライフ」と聞くとアニーやシブがき隊を思い出します。
同じ曲なのかな、TOTOのジョセフ・ウィリアムスが?
作家がジョーイ・カルボーンだからあり得る話かも・・。
ジョーイ・カルボーン・・日本の女の子好きな「LAのお調子もん」。

「DJインマイライフ」はシブがき隊1985年のヒット。

映画「バローギャングBC」の主題歌。
ありましたねーー、こういう映画。CBSソニーの初製作映画でした。
社員にチケットノルマありました。
音楽監督のクレジットには加藤哲夫、高橋裕二両氏の名前が。
クール&ザ・ギャング の「チェリッシュ」も使われてました。

***

話は極端に飛びますけど
「DJインマイライフ」時代のシブがき隊のディレクターは
藤岡孝章さんといいます。
元は「まりちゃんズ」というカルト的なフォークバンドやってた人で
今は会社は辞めてフリーのプロデューサーをやりつつ
「藤岡藤巻」という自分のグループをやってます。
頑張ってるおじさんデュオです。
私の今でも飲み仲間の1人です。
明日2枚目のメジャーアルバムが発売になります。
2枚目なのにアルバムタイトルは「藤岡藤巻Ⅲ」です。

収録曲は以下の通り、知らなくてもメロディがすぐ出てきそうでしょ?

  • 夏はもらったぜ!
  • 贈られる言葉
  • オレはフォークが大嫌い
  • 父さん
  • オヤジの心に灯った小さな火
  • 妻よ2007
  • オレはヘビメタが大嫌い
  • 死ね!バレンタイン・デー
  • いーよな若くて
  • オレのせいか???
  • オレはラブソングが大嫌い
  • イメージの宴
  • さくら


そして4月20日、渋谷のAXでワンマンライブやります。
まだチケットが余ってますから行って見て聞いて笑って下さい。

藤岡、藤巻、宣伝したよ!

2007/04/17 14:53  全て表示   1   コメント 4
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ドーン

★ドーン / 幸せの黄色いリボン(Tie A Yellow Ribbon Round The Ole Oak Tree)★

担当はコピー・ライターに転身した西亀圭一さんです。
デビッド・キャシディやモンキーズを担当していて
ほとんど担当者がデビッドキャシディばりのアイドル顔してました。
定年を迎えた今だに可愛いんだから一種の妖怪ですね、あれは。

で、ドーンといえば「ノックは3回」が71年にスマッシュ・ヒット
その後72年にかけて「拍手はいっぱい」「海辺で遊ぼう」
「恋は日曜日に!」「悲しき街角」と立て続けに見事に失敗。

そして73年4月21日、遂にこの大ヒット曲が生まれました。
アメリカでも1位を続けましたが日本での大ヒットは
宣伝担当だった秦幸雄さんの頑張りも大きいでしょう。
タイトル通り全身黄色づくめでプロモーションしていました。
(黄色づくめだからヒットしたというわけではないですよ)

この秦幸雄さんて桐生出身なんですが、先祖は京都を作った
渡来の一族で、その先祖は太秦に祀られています。
更に太古まで遡るとユダヤまで行きつくらしいです。
彼の桐生の実家は織物業でした。
凄いでしょ、秦(ハタ)が桐生で織物業なんて・・・
そうなんです、正統的な秦一族の末裔なんです。
あ、始皇帝とは関係ありませんから。
今やグループ全社のIT関連ビジネスを一手に担う役員さんです。
今は常識の「着うた」ってのも彼が興した会社で始めたものです。
ユダヤとも織物とも関係ないですけどね。
顔をね、良く見ると鼻がそれっぽいですよ。

写真はタイトル『上州若鷲の会』、群馬連合とも自称してました。
団塊の世代そのものですな。当時の所属会社で左から
ワーナーパイオニアの藤倉(桐生出身)
CBSソニー秦(桐生出身)
同じく野中(前橋出身)
ワーナー渡辺なべちゃん(伊勢崎出身)
この中の藤倉克巳はこの写真の後、国内制作に異動、
中森明菜のデビューに深く関わり、更にその後CBSソニーに入社
小野正利で大ヒットを飛ばします。
そして又辞めて今はフリーで又新人探してる・・皆さんよろしく。
なべちゃんは熟女好みでした。特に金歯。

「幸せの黄色いリボン」と似たタイトルでよく間違えるのが
「幸せの黄色いハンカチ」で、これは日本映画です。
高倉健、倍賞千恵子主演の山田洋次監督でした。
今度アメリカでリメイクされるらしいですね、面白い。
何故ならこのドーンの「幸せの黄色いリボン」も
映画の「幸せの黄色いハンカチ」も元ネタは同じで
アメリカのピート・ハミルって作家の原作ですから。


黄づくめが出れば、赤づくめが出なきゃ締まらないですよね、
いるんです、赤づくめが。
出た!その名も赤井恭平さん。
私の1年先輩なんですけどね。

大阪営業所から洋楽制作に異動で来た最初の挨拶で
「こんにちわ、ベストも名前も赤い赤井恭平です!」
って自己紹介して、みんなにため息つかれ、無視されてました。
放送局での「SONYなのにAKAIで~す!」というフレーズも
まったく受けてませんでした。

初めはシングル担当ディレクターで
クリント・ホームズの「希望のあした」がデビューだったかな。
当たらなかったけど。1973年でしたか。
何故覚えてるかというと、赤井さんは結構血圧高いらしく
朝から会社のデスクで「ぱぱっぱ、ぱ~や♪」って
大声でその曲を歌うので、、うるさい~~!!
金弘君と同じくらい朝からハイテンションな人でした。

ビルボード誌のチャート丸暗記が得意で、
何かアメリカの昔のヒット曲名を言うと
「あ、それはね!○○年○月に2位までになった曲だよ」
とか教えてくれました。喋るチャート辞典。

それと、洋楽カラオケ好きなボーイソプラノな方でして。
場の空気を読まずにどんどん自分の持ち歌を入力しちゃうので、
そういう時はこっちも知らん顔で勝手にキャンセルしてました。

「あれ?僕の歌は?あれ?おかしいな・・」だって(笑)

今は業界誌で編集の仕事されてます。
写真が!写真がないんだなーー。
赤井さん、もしこれ読んだら当事の写真を
データで送ってくれませんか?
***
ドーン、デビッド・キャシディ担当の西亀さんの写真入手!
1974年で29才くらいの頃。

2007/04/11 16:26  全て表示   6   コメント 10
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カプリコーン(もしくは高橋裕二)

★カプリコーン / 恋のフィーリング(Feeling)★
  
<お願い>この項をご覧になる方は、
その前にとりあえず「ビヨルンとベニー」をお読み下さい。
年月日も登場人物も同じ、続編みたいなもんですから。

***

ミッシェル・ポルナレフがゲストで出演した
1972年11月の第3回世界歌謡祭at武道館。
ここでグランプリに輝いたのが「カプリコーン」といいます。
ロンドンの3人組で、ヴォーカルはスー・アボリーという
ミニ・スカートの女の子でした。

グランプリ曲は「恋のフィーリング」。
知らない?
この曲は知らなくても「ハロー・リバプール」っていう曲は
知ってる人もいるんじゃないでしょうか、
前の年の71年に日本で大ヒットしていますから。
あの「カプリコーン」です。
この「恋のフィーリング」も一応ヒットしましたよ。
シングルで10万枚近く売れたと思います。

だけど、この世界歌謡祭の歴代のグランプリ・・・
第1回のヘドバとダビデ「ナオミの夢」
第2回の上条恒彦と六文銭「出発の歌」
第4回の小坂明子「あなた」

こういう大ヒット曲に囲まれるとどうしても
第3回「恋のフィーリング」は印象弱いですよね。

ディレクター?
はい、数多のエピソードでここでもおなじみの「ゆうじさん」です。
前の年に「ハロー・・」がヒットしてたのでエントリーしたんですね。
安易に。
私は入社1年目の秋の宣伝担当時代。

***

この「第3回世界歌謡祭」で事は起きました。
時系列で辿って行きます。
歌謡祭は11月17・18・19日。本選は最終日。

まず予選初日17日に、ゆうじさんがこの時イチオシだった
(あの)「ビヨルンとベニー」が出ました。
18日にもう一組の担当「カプリコーン」が出ました。
そして審査の結果、予選通過者が発表され、
本選には・・カプリコーンだけが残りました。

この日のために仕込んだ「初恋の街」のビヨルンとベニーは
腹のでかい奥さんのためにあっさり予選敗退。
ゆうじさん、ショックと言うか「もうどうでもいいや」で。

本選は19日の日曜日でした。
ゆうじさんは夕方4時から始まった本選の
カプリコーンの出番だけを見てさっさと家に帰ってしまいました。
そして午後7時半。
石川さん(制作課長)からゆうじさん宅に電話が入ります。
ゆうじさんはその時風呂に入っていたと後に供述してます。
(本当は酒飲んでたと私は思いますけど)

「ゆうちゃん何してるんだ!?カプリコーンがグランプリだ!
早く武道館に来い!!」
「無理ですよ、もう間に合いません。野中がいるはずですよ」

私はその日、確かに武道館に行きました。
でもポルナレフは本選の19日はショーがなかったし
大体アーティスト担当のゆうじさんが
「どうせ賞なんて取れないしもう帰っていいよ」とか言ったじゃない。
だから同期の小野くんちでビールの後シャワーを借りてたんです。
(これは本当です)
そこにどう探り当てたか石川さんから電話が来て
悪いけどこういうことだから武道館まで急いで来てくれと。
慌てて渋谷からタクシーで武道館に行って
「コングラチュレーション」なんて言いました。
新入社員なのに。宣伝担当なのに。

***

翌日からTV出演やらインタビューやらで忙しくなりました。
シングル盤も歌謡祭でのライブ写真にジャケットを変えて。

それでもプロモーション現場にゆうじさんは顔も出さず、
後になって「わりぃわりぃ」と詫びを入れてきましたが、
カプリコーン本人たちも、こんな大きなコンテストで
まさかグランプリなんて想像もしていなかったみたいで、
一番可哀想だったのはヴォーカルのスー・アボリーで
女の子なのにステージ衣装が1着しかありませんでした。

彼らはこの後新譜出したんでしょうか?
私にその記憶はありません。

とまれ、その伝説の「ゆうじさん」
この3月28日で無事に還暦を迎え、4月11日にお祝いします。
しかし未だに現役なのを誇りに、元気に生きてます。
(ここまで書かれて反応してこない高橋裕二さんてどーよ?)

***
シカトしてるから写真載せちゃいます!
2007.4.11還暦祝いの席にて「ゆうじさん」と私

2007/04/09 15:27  全て表示   2   コメント 7
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アラーム

★アラーム / 68ガンズ(68 Guns)★

IRSレーベルがあった頃
IRSと言えばすぐにREMなんだけど
当時はU2と並ぶと言われたバンド「アラーム」って
記憶してますか?

ウェールズ出身でIRSからのアルバム「DECLRATION」は
「アラーム宣言」という邦題で84年6月に日本発売されています。
担当は誰だったのか・・覚えていません。
「68ガンズ」というカッコイイ曲がありました。
カレッジチャートで受けていたフォークというかロックと言うか。
いずれにせよパンクは終わっていて
音もね、キレで売るバンドじゃなかった、ウェールズだからですか。

一回来日してもう一回来てるのか、
85年12月21日発売のアルバム
「Strength(アラームスピリット)」を持って来日。


写真はアラームのメンバーとディナーですね。西麻布の「十々」。
ウドーのタックがいるということはコンサートツアー時でしょう。
86年だったかもしれない。
隣のメンバーは誰すか。マイク・ピーターズ?(違うか)

真ん中が大西泰輔さん、当時の洋楽部長です。
アーティストをアテンドする名人で
世界中で「Tai Ohnishi」として有名です。
大西さんと言えば何はともあれビリー・ジョエル、
結婚式に招待された唯一の日本人ってくらい。
それからジャーニー、一緒に泳ぎに行ったくらい。
チープトリックも大西さんのことは「Uncle Tai」と呼ぶくらい。
他にも数えきれないアーティストが大西さんのお世話になってます。
傍で見ていても献身的に尽くすのでどんなに面倒なアーティストでも
最後は大西さんの軍門に下ってました。

空港の出迎えロビーでは、入ってはいけない出口から
中を覗いてたなと思ったら中に入っちゃうし!
そういうアーティストが泊まるホテルでもすっかり顔で、
特に昔のヒルトン(その後のキャピトル東急)じゃあ
フロントまで全員顔見知りでした。
そういうコネで当時の社員の結婚式はみんなヒルトンでした。
ちょっと近寄りがたかったウドー社長もこの大西さんとは
レコード会社の中でも特に仲良くしてくれてました。

CBSソニーの名物洋楽部長さんとして80年代中頃まで
我々はその薫陶宜しきを得ておりました。
現在は、ソニー名誉会長である大賀典雄氏が、軽井沢町に
退職金で寄付した「軽井沢大賀ホール」の支配人をされてます。

大西さんは私の仲人さんでもあります。
もちろんヒルトン・ホテルで「紅真珠の間」。
仲人なのに、宴会では白いタキシードに着替えて
アンディ・ウィリアムスのヒット曲
「ゴッドファーザーの愛のテーマ」を歌ってくれました。
これは大西さんのオハコで
「Wine-colored days warmed by the sun」のくだりは
当時の部下なら誰でも知っています。
バックバンドはシゲトちゃんがリード・トランペットの
慶応ライトミュージック・オーケストラ。
豪華なステージだったわけですね。

考えてみると式は32年前、大西さんも当時まだ35才。
何かやたらにオジサンに見えたぞ(笑)
もっと大西さんのエピソードはあるんだけど、
やっぱり仲人さんなんでやめときます>うちの社員の皆さん

2007/04/05 17:08  全て表示   2   コメント 11
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