皆さん、ALOHA!
ハワイでは2月になりました
今日もオアフ島は夏の日差しが降り注ぎ、お洗濯を干せば一気に乾きそうな感じですが、残念ながらここはアメリカ、洗濯物を外に干している人なんて誰もいません
外干しなんてしたら景観が悪いと怒られるくらいです…
日本ではどうやったらCO2を削減できるか皆で考えているところなのに、常夏の島で洗濯乾燥機とはなんとも不条理な気がします
さて、昨日に引き続き、今日は戦艦ミズーリ特集PART2です
ミズーリでは、米軍の退役軍人のおじさんたち笑顔で待ち構えていて、誇らしげにガイドをしてくれます

「1945年、4月11日、ここにカミカゼが突入しました」
なんですと
(@0@;おじさんが指しているのは、日本軍の零戦がミズーリに接触する瞬間の写真
戦争末期のあの頃、本当に特攻隊が戦艦目がけて突っ込んでいたのです
そして、特攻機がミズーリに与えた損傷が、これ

「レールが凹んでいます」
日本人は私とクラスメイトのふたりだけで、その他のアメリカ人のお客さんは「へー、これがカミカゼが当たったところだってさ」という気軽さで、この「カミカゼ衝突跡」を覗き込んでいたのですが、私たちは言葉を失いました
命を賭した特攻隊が、大戦艦ミズーリに与えることができた損傷はたったこれっぽっち…
そもそも小さな零戦が、こんな大戦艦に打撃を与えることなんてできなかったのです。きっと突っ込んでいった特攻隊員も特攻計画の無謀さを分かっていたでしょう。それでも、命をかけて任務を果たした
私は65年を経たその命の現場に立ち、特攻隊員に思いを馳せました(;;)
艦内には、そのゼロ戦の破片が、隊員の金ボタンとともに展示されています

「破片には「JAP Crasshed on Missouri」と書かれています」
JAPの3文字が心にチクリと棘を指しました

そして、ミズーリが真珠湾に保存されている最大の理由がこれです

「この場所で、日本は連合国に降伏した」
Surrender Deck(降伏の甲板)。あっ、そうだ
アメリカは日本の降伏の場に、日本の土ではなく、アメリカのミズーリの上を選んだ、って歴史の授業で習ったぞ!と思い出しました
まさにこの場所で日本は降伏文書に署名したのです
降伏文書は、なんとその場で現在も公開されています

「日本の重光葵外務大臣、梅津美治郎参謀総長の署名がしっかり読み取れます」
不思議なことに、日本側の書面と、アメリカ側の書面が同時に展示されています。日本側の書面は日本にあるはずなのでは…
つまるところ、戦艦ミズーリは、アメリカ人にとって勝利の証、日本人にとっては敗戦の証だったのです
「タダで見れるなら見に行こう
(普段は25ドルかかる)」という遠足気分で出かけたはずの戦艦ミズーリの見学は、自分でも驚くほど心が揺らぐ歴史との遭遇になりました
別に私たち日本人留学生は非難されたわけでもなく、むしろ退役軍人のおじさんたちに大変歓待されたくらいでした
退役軍人の人々は、佐世保や横須賀に赴任した経験があり、日本語ができる人が多いのです。
歓迎とは裏腹に、私の心は揺らいでいました

まず、特攻隊がミズーリに小さなかすり傷しか与えられなかったという現実が切なくて、悲しかったです(;;)よくもそんな無謀な計画で、たくさんの命を費やしたものだ、という怒りが湧き上がりました
そして、日本の降伏の場に立ったとき、「戦争はするべきではない」、という普遍的な感想を差し置いて、「戦争をして負けて、このような屈辱を味わうくらいなら、戦争をしないほうがマシだ。よって、戦争に頼らず外交で国際的な地位を築かなければいけない。二度と誰かに降伏することがあってなるものか
」という気持ちが沸き起こりました。まるで当時この場に立っていた日本代表団の気持ちに寄り添うかのように、私の中の日本人DNAがにわかに存在を主張し、自分でも戸惑うほどでした
戦艦ミズーリは、「戦争をするっていうのはこんなに重く苦しいことなんだ
」、と戦争の重苦しさを現在に伝える証人として、私たちに無言の問いかけを発しています。再び大戦争が起きることなく、ミズーリが完全に過去の遺物となることを心から願って、ミズーリ記念館を後にしたのでした

「さらば、ミズーリ
」



